日々是呼吸


カテゴリ:こころと思い( 144 )



荷物を減らしたい

仕事場のデスクも、自宅の部屋も、なにかと荷物が多いです。
片付いていればスッキリする、なんてかわいい次元ではもはやありません、
やはり、抜本的に減らさないといけない、そう感じています。

しかしながら、捨てられるものが思いのほか少なくて、手間をかけても目に見えて変化しないことがしばしばあります。
心配症と呼べるほど、災害含め非常時の備蓄などは潤沢とはいえません。
じゃあ一体、なんだろう?

旅の荷物を身軽にするのは得意なのに。
なぜか、定住してしまうと、あれこれ増えてしまうようです。
管理するものが少なければ、楽になるとわかっているのに。世の中なかなかうまくいきません。

思い切って手放すための踏ん切りがつかないのかも。なかなか悩ましいところです。


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by cocue-cocue | 2018-08-22 01:46 | こころと思い | Comments(0)


私見を述べるとは

少し前に、とある受験ブログで見かけた出来事です。

子供の志望校を決めるにあたり、その方はとある属性の学校について「教育方針に芯がない」と書いておられました。
価値観は人それぞれです。しかしながら、その属性というのが、教育の分野にとどまらないものでした。
自分は詳しいわけではないけれど、こういう風に考える(だから敬遠したい)という書きぶりでした。

察するに、その属性とは縁がない人生を送ってこられた様子。人はよく知らないものを警戒したり、過小評価したりするのはよくあることなので、とは思いつつ、読みながらなんとなくモヤモヤしたのでした。

しばらくしてから、その方は個別の学校について、情報を集めた結果を発信されるようになりました。
前述の属性の学校の1つについて、実名を挙げて書いておられたのですが。
そこには「時代遅れ」「閉鎖的」「ピンと来ない」といった印象とともに、配偶者の「それは根底に○○(属性)があるからだ」というコメントがあったのです。

うーん、そこまで言っちゃうかなぁ?というのが率直な感想でした。
在校生も卒業生も、もちろんその保護者も多数いるでしょうし、それより何より、属性はその学校に限らない、いや関係者はむしろ、教育界の外にこそ数多くいるはず。わざわざケンカを売らなくても、といったところでした。

一方で、その属性に則った学校をそこまで合わないと感じているのなら、子供に受験を勧めるという選択肢はゼロのはず。
わざわざ実名を挙げてまで、否定的な感想を世界に発信する必要ってあるのだろうか?とも思いました。

その後しばらくして。

そのブログは大半の記事を限定公開に変更。どうやら、相当数の好意的ではないコメントが寄せられた様子です。
脅迫する人がいればしかるべき対応をうんぬん、といった記述もあったことから、激しい批判もあったであろうことがうかがい知れました。

一連の出来事から学べることは。

・よく知らない、詳しくない物事について、十分に調べることなく、印象のみで断定するのは控えるべし
・特に自分が否定的な受け止め方をしたときは、あえて発信する必要があるのか振り返る
・マイナスの評価を明示する場合に、対象の固有名詞を出すことに対して慎重な検討が不可欠
・自分がいくら正当な理由から発言していると信じていたとしても、当事者や関係者、およびその分野に詳しい人からは「無知がゆえの言いがかり、決めつけ」と見なされる場合がある。謙虚さを忘れてはならない
・個人の意見のサポート材料として、配偶者の感想を引用するだけだと、ますます偏った意見との印象を与える

ブログの大部分を限定公開に切り替えたというところから、その投稿には当人の想定になかったような反響が寄せられたのではないかと想像がつきます。

ということは
・自分の発言が招く反応は、思ってもみないものがあり得る。世の中には、軽い気持ちで持論を展開するのがふさわしくない案件もある
ともいえそうです。

何でもかんでも世に問うべきとは限らない。個人の日記帳に綴るとか、胸の内にしまっておくべき自説もある。
今の世の中、誰でも簡単に世間に発信できるだけに、深く考えることなく口にしたことが世界に広がり、思わぬパンチを食らうことも珍しくないでしょう。

一読者として感じたモヤモヤを、うまく教訓に繋げたいと思って、まとめてみました。

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by cocue-cocue | 2018-07-14 01:24 | こころと思い | Comments(0)


子供に見せる姿

第一子に言われたこと。
「将来は独身がいいな」

理由を聞いてみました。
「パパとママみたいに、しょっちゅう喧嘩してるのがイヤだ」

がーん。

そんなに頻繁に喧嘩した覚えはないのですが。意見の相違はもちろんあるし、私は夫に遠慮して黙るタイプでもないので、激しく言い争っているように聞こえるのかもしれません。

でも、もしかしたら、子供たちの心を痛めているのかもしれない。


思えば私自身も、いつからか思っていました。
お母さん、離婚すれば良いのにって。

こんなにお母さんをないがしろにする父親なんて人間のクズだから、とっとと追い出してしまえよと。
あいにく専業主婦家庭だったので、生活の糧を父親が稼いでいるため、自分がイヤでたまりませんでした。なぜ、こんなに威張りくさっているジジイの世話にならなきゃいけないんだと。
稼いでいるからって偉いと思うなよと。

学生時代、よく耳にしたのは「就職したら、お父さんの偉大さがわかるよ」という言葉でした。
実際に、男女差なしの、今も明らかに男性が多数派の仕事について私がすぐに気づいたことは、「偉そうにしてた父親は、社会人として全くダメだったんだな」ということでした。

父が他界し、感傷的になったのは久々に実家界隈に戻り、昔の出来事を思い出したからだけで、それ以外は全く悔いも悲しみもありませんでした。誤解を恐れずに書くと、父が死んで、もういない人に対して怒りを抱かなくなって、イライラから解放されたほど。
薄情な娘と言われても平気です。
なぜなら、それだけ私は、冷たくあしらわれ、怒号を浴びせられて、欠点をなじられて育ったから。

もしかすると子供達には、私が死んだ父の生前に抱いていたような思いを、私に対して抱かせているのかもしれない。
時折、無意識のうちに、自分が浴びせられたような言葉をこれでもかと発しているのかもしれない。

ただひとつ、私が親と異なる点があります。

子供達に重ねて伝えていること。
「親も先生も、間違えることがある。長く生きているから、分かることもある半面、年上だからというだけで正しいとは限らない」

子供時代の私が、いや大人になってからも、親からかけられたことのない言葉を、私は我が子に、折に触れて使っているのです。

我々夫婦が子供にとって、決して良いものには見えていないのだとしたら。
まさに死んだ父が「自分の育った家に家庭がなかった」と言っていたのと、同じかもしれません。

負の歴史はどこかで断ち切らなくては。

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by cocue-cocue | 2018-07-04 01:14 | こころと思い | Comments(0)


大地で呼吸する

とても広い公園に、ピクニックに出かけてきました。
前から使っているサンシェードに加えて、今回は新しく買ったレジャーマットも持参。芝生に広げて腰かけると、クッションが心地よくて、思わずゴロンと横になってしまいました。

母校には芝生が広がる大きなグラウンドがあり、今の季節はお昼休み、お弁当を広げてのんびり過ごしていました。
ただそこに芝生がある、それだけで外に出ておしゃべりに花咲かせながら昼食を取っていたのですが、今となってはとても豊かな時間を過ごしたものだと感じます。

芝生の上のマットで寝転がりながら、考えました。
最後に大地で大の字になったのは、いつだっただろう。

海水浴に出かけた時ですら、海辺でゴロンと転がってみたかどうか、記憶はあいまいで。しかも海辺で過ごしたのは何回前の夏だっただろう。

公園とはいえ、日頃過ごしている都市と比べると自然が豊かな場所で、体を横たえて大きく深呼吸していると、私たちが本当にゆったりできる瞬間というのは、土の上だけなのかもしれない、そんな思いがあふれてきました。

コンクリートに固められた町のおかげで、便利な生活を送ることができているけれど、人はやはり、土の上で大空を感じたい生き物なのかも。
ビーチや大きな公園で集まってヨガをする人たちが気持ち良いと感じるのも、こういう理由かな?

日差しを浴びたり、心地よい風に吹かれたり、なんとも贅沢な時間を味わった休日でした。



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by cocue-cocue | 2018-05-01 13:49 | こころと思い | Comments(0)


三寒四温

3月に入り、さすが春と思いきや、またまた寒さがぶり返しています。
ダウンコートやブーツ、ウール地の厚手のジャケットなど、さすがにもう暦とは合わないかと思ったものこそ、実は今の気候にぴったり合っている感じがします。

そろそろ、今月下旬から4月にかけては出番が少なくなりそうな服を着ておきたい、そんな気持ちになる時期。街に並ぶのは軽快な服ばかりですが、今その格好で歩くと体調を崩しそう。真冬が終わっても、気温や風の冷たさがまだ真冬並みです。

季節を先取りするのはおしゃれの証かもしれません。でもやはり、薄着になるには勇気が必要で、もう少し温まっていたいところです。
うだる暑さの季節には想像がつかないことですが、人はやはり、寒いと身も心も縮んで、動きが緩慢になるのでは。あたたかくなると、日差しが明るくなるだけではなく、気温が上がることでだんだん活動しやすくなります。

今年はどんな春が待っているのだろう。
後から振り返ると、よみがえってくるのは何の場面かしら。

春になるとまた、新しい出会いや別れ、再会があるはず。
芽吹く前のこの時期、心のゆとりを蓄えておきたいです。



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by cocue-cocue | 2018-03-07 22:47 | こころと思い | Comments(0)


脱・依存宣言

1月はコーヒーを口にしないで過ごしました。
思うところがあって、久々にコーヒーをいれて家族と飲みました。

結果。
あんなに好きだったのに、感動がなくて。
なかなか飲み干せませんでした。

しかもしばらくして、軽く動悸を覚えたので、これはまた当分口にしないだろうなぁと確認した次第です。
 
2月に入り、何か新しく止めることを決めたいと思い、寝る前にスマホを触るのをやめようとしています。
コーヒーしかり、スマホしかり、結局のところは何かに依存している自分がいるわけで。
なくても困らないものは要らないし、もっというと依存そのものがプラスではないと痛感しているのです。

自分にとって、なくてはならないと思っている存在が、本当に必要不可欠かどうかは充分に検証できていないかもしれない。

いろんなことを見直して、要らないものは手放して、身軽にゆとりを持って過ごしたいです。





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by cocue-cocue | 2018-02-04 00:13 | こころと思い | Comments(0)


1月が終わり

お正月っていつの話?というほど、どっぷり日常に戻りました。
おかげさまで、新年の決意、コーヒー断ちは1ヶ月間継続できました。

カフェインはまだまだ欲していて、朝の玄米茶や一休みのココアは心の友です。
それでもやめると決めたことを、ここまで続けられたのは我ながらよくやったと言いたいです。

2月以降も、このスタンスを忘れずに続けていきたいです。

コツコツと何かを続けるのが決して得意ではなく、気付いたら三日坊主になることが多かった私。止めると決めて続けるのは、それ自体は思ったほど苦しくはないんだと今回身をもって知りました。頭痛はキツかったですが。

1ヶ月も飲まずにいると、飲んでいた頃の記憶があやふやになりつつあります。私の体に変化はもうありませんが、おだやかな調子で過ごせる時間は間違いなく増えました。
本来の私にかえりつつあるのかな。そんなことも感じます。

2月は何かまた、別のことに取り組みたいのですが。明日までに考えてみます。


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by cocue-cocue | 2018-02-01 03:12 | こころと思い | Comments(0)


名残りも未練もない(コーヒー断ち15日目)

振り返ると早いもので、コーヒーを飲まなくなって2週間が経過しました。
物事を習慣にするには3週間必要、とよくいわれますが、私の場合はこのままぶり返すこともなく、コーヒーを飲まずに過ごせる確信があります。

欲しくてたまらないけれど我慢している、といった感じが全くないのです。
コーヒー飲んでひと休み、そんな習慣すらもはや私には不要かもしれません。

日本茶を飲むことは時々あるので、カフェイン断ちではありません。コーヒーにいかに依存していたのかを改めて知ると同時に、もう私はコーヒーブレイクを味わうことはないのかなぁ、なんてふと思ったりして。
今は頭痛の記憶が新しく、飲んでまたあの痛みに苦しむくらいなら、やめておこうという気持ちにもなるのです。

コーヒーは私の日常で、いつもそばにあるものでした。止めると決めて、予想外の頭痛と眠気で苦しんだものの、それ以外の未練も後悔も名残惜しさすらないのは、ある意味驚きです。同時に「人は変われる」ことを体感する、よい機会になったと実感しています。


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by cocue-cocue | 2018-01-16 13:17 | こころと思い | Comments(0)


距離を置いたら穏やかな気分に(コーヒー断ち12日目)

地下鉄を降りて改札を通るとき、ふと気付きました。私の心が、静まり返っているかもしれないということに。

コーヒーを飲まなくなって12日目。コーヒーだけが理由なのかどうかはわかりません。ただ、心を覆っていたような重苦しさみたいな、モヤのようなものが、見当たらなくなっていることに気付いたのです。
ただ、静かな湖面が広がっているかのように。

私はどちらかというと、頭の中がおしゃべりなタイプです。ぼんやりしているというのは、熱が出ていたり、眠気が強すぎたりするときだけで、いろんな考えや思いが頭をかけめぐるのが日常でした。
ところが、そういったザワザワしたものが見当たらないのです。

もちろん、カチンとくる発言にイラッとすることくらいはあります。でも、恒常的に何かもやもやしているのは、消えてしまったのかも。

コーヒーを抜いた結果だと決めつけるのは短絡的ですが、他に変化したことはあまりなく、何割かはコーヒー起因だと言える気がします。

スターバックスで紅茶を注文するようになり、そのうちコーヒーを飲みたいという思いすら消えてしまっていて。人の身体はこんな形でも変わりうるものだな、としみじみ感じています。


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by cocue-cocue | 2018-01-13 13:52 | こころと思い | Comments(0)


みんな、変わりたくなんかない、のかも

技術の進歩などでいろんなことができるようになりました。同時に、昔必要だと思われていたものがもはやいらなくなったり、廃れていったりして、世の中は少しずつ、時には目まぐるしく変化しています。

そのことをどう受け止めるのか、急に気づいた私なりの解釈が「大部分の人は実は、変わりたいとは思ってなんかいない」という傾向です。

例えば都市部で盛り上がる中学受験。最近は大学付属校の希望者が増えているといいます。少子化にもかかわらず大学の数が増え、進学率も上がるなか、大学合格自体は数の上では易しくなっているはず。それでも付属校に人気が集まる理由は、2020年の大学入試改革を控え、「どう転ぶかわからない新入試方式に子どもを巻き込みたくない」からだとか。

確かに目の前の試験なら、今ここの制度や仕組みを使っているので、迷いは少なくてすみそうです。どうなるかわからないものに不安を抱くのは自然ですが。
そこまで忌み嫌って回避する必要がどこにあるのだろう、と不思議でなりません。

子供の将来を左右するものだから特別、とも言い切れないはず。
潜在的に、改革後のものが自分にとってプラスに働くとは思えないという集団心理なくしては、このような動きは出ないのではないでしょうか。

よくなるとは限らないけれど、絶対に悪くなると決めつける必要もなく、本来「改革」であればむしろ、既存の制度の欠陥を補うものであろうと考えれば前向きに受け止めて良いというのに。あえて今、回避するための勝負に出るのであればそれは、やはり変化そのもの(方向性に関係なく)に対して消極的、否定的であるのは事実でしょう。

何でもかんでも変えることが大切だとは思いません。
しかしながら、昨日と同じ1日などないのです。変わるのは前提で、それが大きくても小さくても柔軟に受け入れていくというのが本来は必要なのではないでしょうか。

今回の例は限られた人たちの判断の話ですが、世論を動かす何かを見たとき、人々が変化をどう受け止めているのかを念頭におくと、意外な現実が浮かび上がりそうです。



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by cocue-cocue | 2018-01-05 09:03 | こころと思い | Comments(0)

    

出して、取り入れて。ものや知恵と出会い、手放す毎日。
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