毎日数杯は飲んでいたコーヒーを年明けから断ち、今月は寝る前のスマホを止めようと思いつき、今の私のしていることはズバリ「くされ縁から離れる」行為ではないかと思い始めています。
なんとなく続けていたり、つながっていたり。そんな惰性の行動の一つをやめてみたことで、実は全然必要なかったし、ないからといって困るわけでも不快なわけでもなく、むしろおだやかに過ごせると気がついたのが1月でした。
時間には限りがあるわけで、いわゆるルーティンだと思っていることにかまけていると、何も新しいことなどできなくなります。
そもそもいらないんじゃないの?と思ったとき、手放していくことで、きっと身軽になって、また別のことを試してみようと踏み出せる余地ができる。
頭でわかっていたつもりでしたが、できるかどうかはまた別の話でした。
握りしめていなきゃいけないものなんて、そんなに多くない。
いや、握りしめている手は、そのことにしか使えなくなっている。
なるべく大事に取っておくことをわりと志向してきた私が、義理立ててつきあってきたようなものごとに関わりたくないとお断りしたのも、一連の私の変わりたい思いが根底にある気がします。
本当に必要なものって、そんなに多くない。
阪神大震災に遭ったとき、痛切に感じたはずなのに。
また、いろんなものを握りしめていました。
自分の目指すところとはそぐわない、そんな過去のしがらみも、義理も、要らない。
そうやって、ドンドン切り捨てて歩みたい、立春になりますますその意を強くしています。