とてもお世話になった方が、急逝されました。
連絡を受けたのは、故人が他界後、24時間以内。
亡くなる3時間前には、毎週恒例の活動を終えられ、普通に帰宅されたといいます。
なにも兆しのない、突然死でした。
残された家族や数多くの友人の方々に走った衝撃の大きさ。驚き、そして悲しみ。
にわかに信じられない、そんな思いを抱えた多くの人々が駆けつけ、最後のお別れをしました。
急な発作のような形で、息を引き取られたと言います。
前触れもなく、疾患の兆しもみられなかったとのこと。
周りも去ることながら、もし意識が残ったのなら、一番驚いているのは当人のはずです。
まさか自分が他界しているだなんて。
そう、ご本人の想定にはなかったはずです。
持病があったわけでもなければ、命に関わる危険因子を自覚されていたわけでもない。
突然、その人生が幕引きを迎えた、そんな形なのです。
適切なたとえかわかりませんが、いつも通りに就寝し、目覚めてこなかったーーーー限りなくそれに近いはず。
何が起きたのかもわからず、次の瞬間が来なかった、ということでしょう。
これまで私が伺った葬儀を振り返ると、大半のケースで、故人は病を患っておられました。
どこかのタイミングで、自分が元気に回復することはないという事実を見聞きしていた、そんな例しか、経験がありませんでした。
死にゆく自分をどう受け止めるか、とても難しいことだと想像します。
もちろん悲しみの深さは図り知れず、ご本人も周りのご家族も、その事実を受け入れるのには時間を要したことでしょう。
しかしながら、そんなシナリオすら頭をよぎらぬまま、駆け抜けて行ってしまった。
そんなことがあるんだ、と、遺された人々は驚きをもって嘆き悲しむのです。
いろんな死があるはずです。
明日は永遠に来ない、という表現のとおり、明日も、次の瞬間も来ない。それはどんなことだったのか。
まだまだやりたいことが山のようにおありだった故人。
来月になれば、コロナで制限がかかった活動を本格再開できる、そんな希望を抱いていたはずです。
自分なりに折り合いがつかないですが、
どうか安らかに、お眠りください。
そしてこれまで本当に、ありがとうございました
改めてそんな言葉を、故人に送ります。