子どもの頃から怖がりでした。
正確には、怖がりだったのか、「あなたは怖がり」だと言われ続けたからそう思い込んだのか、もはやわかりません。
間違いなかったのは「あなたは怖がり」と言われるときは必ず「だからダメなんだ」という結論がもれなく付いてきたことです。
中学生の頃でしたか、父方の従姉の家に遊びに行きました。
小学生の兄と妹がいるその家では、男の子がいる家庭だけに、活発に外遊びをしていました。
ところが、その様子を見ていた亡父は、ずーっと注意し続けるのです。
「そんなことしたらあかん、危ない」
「怪我するならやめなさい」
私の目から見て、そこまで危険度の高い無謀な遊びをしているようには全く見えません。
そこで、気づいたのでした。
ハハーン、これはジジイ、自分が怖がりだから、子どもの行動を制約したがるんだな、と。
私もきっと、このレベルであれもダメ、これもしたらあかんと言われ続けて、結果的に挑戦の機会を取り上げられてきたのだろう、と。
だから、場数をこなしておらず、ちょっとしたはずみで転倒して前歯を折ったり、腕を骨折したりしたんだろうな、と。
母も運動神経皆無でした。
泳げない「カナヅチ」で、自転車に乗れない。
当然車の運転などできません。スキーもスケートも無理でしょうね。
だいたい、駅などで階段を降りるときに、若い頃から手すりを持たないとダメだというのです。
ある時、人がいなくて緩やかな階段で「人混みがあって手すりに近寄れないときのことを考えて、無しでも降りられるように練習すべき」と促したところ、数段でよろけるのです。
そういえば、テレビで紹介するような体操のポーズをさせても、母は笑うしかないほど不恰好でぎこちない、ダサい動きしかできないのです。
体をうまく使うことが全くできていないのでしょう。
先ほど引用した大久保先生のブログに照らすならば、発達のヌケがたくさんあるはず、そんなにおいがプンプンします。
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なんだか知りませんが臆病で内弁慶、気に食わないと大声をあげたり怒鳴ったり、物を投げつけたりして当たる父親。
壊滅的に運動神経がなく、人並みにできるよは平面歩行くらい、という母。
こんな親に寄ってたかって「アンタは怖がり」と言われ続け、心の安寧など得られなかった私は、怖がりになるよう仕向けられた育ちだったことは間違いないでしょう。
先に引用した大久保先生も、発達障害は「治る」ものであると位置付けて、ヌケをうめることで発達を促す取り組みを紹介されています。
一生福祉の世話になれば、自立できないばかりか、搾取され可能性も狭められるおそれについて、保護者はじめ関係者の方に注意喚起されています。
ちょっと異なる角度からの指摘ですが、
ヌケたまま十分に発達せず、周りに対して過剰な恐怖感を募らせて、我が子にまで擦り込み、挑戦の機会を奪っておきながら「怖がりだからダメ」と言ってのける。
そんな親に育てられた私のような不幸は、繰り返してはならない、そう強く訴えたいです。
とっとと治って、健全な危機感を備えて生活していける大人になってもらわないと、世代を超えた被害が広がるのですから。