森氏の功績を評価する意見は、
僕には体罰教師への批判に対して
「彼はそれでも教育熱心だから」と言って
擁護しているのと同じように聞こえます。
新聞コラムからの引用です。
父が死んで1人で暮らす母と話すと、今も無力感に苛まれます。
私はいわゆる毒親育ちで、森氏のような不適切言動や女性蔑視を隠さない父親のもと、歪んだ価値観にもとづく抑圧的なしつけを受けました。
死んだ父の誤学習による指摘を真に受けるしかなく、社会に出てそれはたくさん叱られ、批判され、恥をかきました。
その話をすると母はいつもいうんですよね。
「お父さんもお母さんも当時は一緒懸命だった、よかれと思っていたんだ」と。
ここに私は、戦前世代の抱える価値観の決定的な過ちを見出すのです。
熱心に取り組んでいたんだから、その結果が思わしくなくてもやむを得ないし、よくない結果を出しても許してあげるべきーー
そういうメッセージが伝わってきます。
これの何が悪いのか?
冒頭に引用した森氏に関するコラムでいうなら、
彼が長年にわたり五輪に向けて尽力したことを、抽象的かつ過剰に評価している点を筆者は指摘しています。
具体的な問題点はコラムをお読みいただきたいのですが、ここで冒頭に引用した「体罰教師を教育熱心だから、と擁護する」は見逃せない論点だと思うのです。
母が亡父や自分の過去の我が子(私)に対する不適切な言動やしつけを弁解するときの論調がまさに、これなんですよね。
はっきり言わせてもらえば
熱心な人であれば、なんでも許されるわけではない。
熱心な面がどんなにあっても、他人を傷つける言動があれば一発アウト。
なんですよね。
もう一歩踏み込むならば
実害を及ぼす熱心な人物より、むしろ人畜無害でやる気のない人の方が数段マシ
だったりするわけです。
体罰で生徒を怪我させるほど「熱心」な教師と、無関心であるがゆえに生徒を怪我などさせない教師なら、どう考えても後者の方が社会的には歓迎されるはずです。
そこを、戦前世代は完全に履き違えている。
頑張ったんだから、と合唱しますが
それは適切な方向に努力がなされた場合のみ、有効な発言なんですよね。
精神主義や根性論を、年寄りが正当化したがる背景もこのあたりにあるんだと思います。
ーー
ついでに加えるなら、
「悪気があったわけではない」
というのも、高齢者同士でかばい合う時に頻出のセリフかと思うのですが。
悪気があったらそもそもヤバイですし
悪気がないのに他人に危害を加えたり傷つけたりしたとしたら、それは無配慮や無知、行動コントロールへの無策でしかないわけで、その「無配慮」という作為的な面こそ批判を浴びるべきなわけです。
一部報道で、森喜朗氏の娘さんが
「父には何が問題かわからない」といった趣旨の発言をされたようですが、わからんちんの世代の毒親を持つ身として、おっしゃりたい意味が痛いほど良くわかり、共感します。
こんな世代には一刻も早くお引き取りいただき、負の循環を今こそ断ち切るべきだと声を大にしたいです。