公立の保育園の年長クラスの先生は必死。
居住地だけなのかどうかわかりませんが、そんな印象を受けたことがあります。
登園したら靴下を脱ぎ、室内では終日裸足で過ごすのが当たり前だと思っていた親の私は、揃いの上履きを買って毎日脱ぎ履きするルールに、まず驚きました。
やがて、気がついたのです。
ここは小学校の入学準備過程なのだ、と。
保育園の先生たちは、強いプレッシャーを感じているんだ、ということ。
子供たちが1年後学校に上がり、公立幼稚園の出身者と常に比べられて「これだから保育園育ちは」と小学校の教員から事あるごとに言われたくないんだ、と。
そんな昔話をふと思い出すきっかけは、こちらのブログでした。
いわゆるお受験こと小学校受験でも似たようなことが言われます。
じっと座っていられること。
落ち着いて話を聞けること。
口頭の指示を的確にとらえ、素早く正確に行動に移せること。
どれも上手くこなせる子供たちは優秀、とされていますが、それって動物の調教とは何が異なるんでしょうか。
「子供が状況判断できることの証」という反論がくるかもしれません。
では、なんのため状況を判断しているのか。
大人に叱られたくないから。
悪い子だと思われたくないから。
ーー後ろ向きの動機かもしれません。
大人に喜んでもらいたいから。
褒められたいから。
ーーそんな風に幼い頃から反射的に思える子供は、いずれ場をコントロールする権力者に忖度するだけの大人になる可能性が大きくありませんか。
国私立小学校がそれぞれの基準で入学する児童を選ぶ理由はきわめて単純。
教員を含む大人たちが扱いやすい子供達だけで学校を構成したいから。
それ以外の理由はありますか。
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コロナ禍において、日本社会のリーダー不在ぶりがあらゆる分野で明るみに出ています。
ひろしコーチは昭和育ちの大人を対象にメッセージを発しておられます。
既得権者にとって都合のよい群衆をつくるべく、学校など教育の場を通じて徹底的に子供時代から洗脳してきた結果が、自分で考え、判断し、行動に移し、必要に応じて軌道修正することのできない大人たちの量産であり、リーダーシップをない権力者の輩出ではないでしょうか。
産業革命が起きて、欧米の列強に追いつけ追い越せをしなくてはならない!という切迫感のあった時代から、日本の教育において「物差し」の見直しが一度でもなされたことはあったのでしょうか。
新型コロナウイルスという未知でおそろしいものが世界規模で広がっている今、日本社会も御多分に洩れず、変化しています。
いいかげん、古びたものさしを手放すには、格好のタイミング到来ともいえます。
日本におけるエリートと呼ばれる人たちが集まって議論し、決定したはずの感染抑制策も、経済への悪影響を減らすための政策も、実はコロナ以前から迷走を重ねている東京五輪への対応も、どれもこれも上手くいっているとは言いがたい現実があります。
これまでの評価軸、役に立っていないんじゃない?
そう素直に受け止められることばかりが続くなか、ひろしコーチのメッセージは心に刺さりました。