教員だった母は「教師は一国一城の主」としばしば述べていました。
他の先生のやり方に口出ししない、いわゆる不可侵条約のような状態なんだそうです。
そういうのを世間では「お山の大将」「井の中の蛙」と呼ぶんですけどね。
物理的に高い場所にたつから、見上げられる。
それが当たり前になる。
そこに冒頭の自意識や不干渉主義が重なれば、教員が暴走するのもむべなるかな、です。
残念ながら、授業参観に和服で出向いたり、よそいきの格好で臨んだりする時代は数十年以上前に終わりました。
それなのに変わらない、教室の形態、朝礼や式典、ノートと鉛筆で黒板を書き写し、連絡はプリント、欠席時は連絡帳に書いて提出ーーあまたある学校文化、慣習だけは残るんですよね、教員側の。
たかが動作と侮れません。ルーティンは人をつくるのです。
高瀬志帆さんの連載マンガ「二月の勝者」では、カリスマ塾講師である主人公が「我々はサービス業」「道徳といった科目は教えていない」などと語ります。
学校があんなに明確な序列化や学習能力の高い子を賞賛するしくみを否定しても、親は我が子を得点で決まる座席やクラス分けをルール化している塾に大枚はたいて通わせています。
お金を出してまで!時間も割いて!
偉そうな教員というのはもはや、滑稽でしかない存在になりました。
先生方の中には、頑張っておられる方ももちろんいらっしゃるのです。が、しくみが傲慢で変化を拒み、前近代的な価値観を伝承する前提から一ミリも変わらない限り、塾通いする子供とその親にとって、学校は時間つぶしだったり、時間泥棒だったりするのは自明の理です。