他の国がどうなのかは知りませんが、日本には人間としてどうしようもないのに人の親をやっている大人があまりにも多すぎると思うのです。
鴻上尚史さんの悩み相談の連載に、アラフィフと見られる暴力父親に対する憎しみが消えないという相談が、若い女性から寄せられていました。
読んでいて、この方は息をひそめて過ごさなくてはいけない家庭で生き延びるつらさに加え、そんな家族関係は決して当たり前ではないという現実にも向き合わなくてはならなかったんだ、と我が身を重ねます。
死んだ父親は暴力こそ振るわなかったものの暴言や癇癪がひどく、気に食わないと怒鳴りながら物を投げたりして、幼子にとっては威圧感の塊であり、恐怖の存在でした。
どんなに平和的でない、心の安静を得られない家庭であっても、子供はここで生きていかなくてはならないわけです。
前も書きましたが、私が抱いた感情の1番最初の記憶は「私の本当の親はどこにいるんだろう?」でした。こんなにひどい目にあうということは、私は本当の子供ではないからに違いないーー。
幼子にそこまで思わせる親って、成人としてどうなのか、失格ではないのか、とすら思うのです。
ところが、まともな家庭で育つと、命がけでそんな周辺環境を受け入れる子供の苦しさを知らないで済みます。親に不満や怒りを抱くこと自体に批判的な人の方が世の中には多いはず。ひとえに、大半の家庭は健全で、節度と思いやりに溢れているからでしょう。
ひとでなしの親からこんなに苦しめられているのに、その苦しさを抱いたり表現したりすることまで批判されるなら、わかってもらえないなら。
自分はなぜ生きているのか、そもそもなぜこんなところに生まれてきてしまったのか、理由すらわからなくなります。
鴻上尚史さんのように、「被害者意識ではない。あなたは被害者」とキッパリ言い切ってくださる方の存在は救いです。
親が死ぬ前に、自分がどんなに苦しかったか伝えて、せめて相手を絶望の淵に突き落とすことができればーー。
相談者の方も、勇気を出して暴力父親に思いの丈をぶつけた結果が、自分は悪くないという正当化で、呆れ果てたことでしょう。
全く存じ上げない方についてコメントするのは何ですが、あえて言います。アイツらはクズなんですよ、人として。
こんな奴らと血がつながっていること自体、憎しみの対象になるのです。クズの血が自分にも流れていると思った時の嫌悪感。あたたかく普通の感性を持つ親御さんの元で育つと、抱いたこともなければ、想像すらつかないもののはずです。
親を憎んでいい。
感謝しなくても構わない。
親が子供を育てるのは、義務なんです。私の親がしばしばわめいたように「ありがたいと思いなさい」などと言われる筋合いなどありません。どんなに親の生活が辛かったり、余裕がなかったりしても、その矛先は子供に向けてはいけない。
ましてや、幼い子供を日常的に怯えさせて、その記憶をこびりつかせて、そんな親に感謝できないという自責の念や葛藤まで抱かせるなど、大人としてクズでしかないのです。
感謝しなくてはならない、と思う必要などどこにもない。感謝はおのずと湧いてくる感情の一つであり、頭で考えて、思い悩んだり言い聞かせたりしながら抱くものでは決してありませんから。
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親に対する違和感や嫌悪の情をめぐる過去の記事を読んでくださる方は今も多いです。
もし、私と同じように、自分を怯えせて傷つけた親が許せないでいる人の目に触れるなら、声を大にして伝えたい。
あなたは大の大人による極めて不適切な言動の被害者です。
幼かったあなたは決して悪くない。はねのける力もなかったし、親だから受け入れなくてはならないと言い聞かせて何とか生き延びてきたのです。
今のあなたが憎しみを抱くのも当然です。
本来は守らなくてはならない存在である子供を恐怖にさらし、深く傷を負わせるなど、まともな大人のすることではありません。
完璧な人などいない、と言われますが、そんな次元じゃあない。
狂った大人による所作を、何とか受け入れよう、許そうと努力する必要などないのです。歩み寄らなくて構わない。
私の場合、父親は死にましたから、今さら強い憤りや恨みをどこかにぶつけたりはしません。いなくなったおかげで、不快さが生々しくよみがえってきて苦しむことはなくなりました。
残念な反応でかえって傷を深めるおそれはあるものの、もし可能であれば、親の生前に不当な扱いへの苦しみを強い言葉でなじり、謝罪を迫るくらいのことはやってもいいと思います。
そこで親を傷つけることになる、なんて思わなくていい。あなたは何十年も、心から血を流し続けたのだから。思いの丈をぶちまける権利があります。
ぶつかってもはぐらかす、言い訳する、表面的に謝ってみせるーーそんな反応が見られたら、もうわかるはずです。親子でさえなければ、相手は金輪際関わりたくないような程度の大人に過ぎないことが。
あなたは決してひとりぼっちじゃない。
身の回りにはいないかもしれないけれど、同じような目に遭った一人として、声を大にして伝えたいのです。