素敵なメッセージを見つけたので、ご紹介します。
私は「中学生の娘より遅く家を出て、早く帰宅する」、残業など無縁で極楽とんぼと言われた時代の地方公務員の父と、公立中の教員だった母のもとで育ちました。
小学校のころ、他の同級生のように「お父さんは会社で〜」などと口にすれば、その都度「お父さんは会社にお勤めしていないの。役所なのよ」と母に訂正されてきました。
大人になり、就職とともに地元を離れて、都市圏と言えども地方特有の「官尊民卑」に毒された親だったのだな、と気づきました。
なぜこんなことをわざわざ書いたかというと、公務員出身の親を持つと、正しいことが実現して当たり前、という建前の価値観をこれでもかと押し付けられるからです。
おかしいと思ったことはそのままおかしいと訴えるのが当たり前で、受け入れられないとしたらそれは社会が間違えているーーどうやら私は、幼かった頃にそんな誤学習を重ねてしまったんだと、いまだに思い知らされることがあります。
以前書いたことがありますが、
とにかく「正しい」ことが何よりも優先される家でした。
子育てにおいても、楽しみなど二の次で、こうあるべきだけが強調されました。
幼い頃の私は食が細かったので、どうせ一人前の食事を完食できないのだから、とデザートやジュースなど注文してもらえませんでした。
父親の「後からデザートが食べられると思ったら、食事を残そうとするから」という信念からです。メインだけでお腹いっぱいになり、「それ見たことか。デザートなんて注文しても余らせるだけ。お金の無駄にならずに済んだ」とたたみかけるように言われて育ちました。
就職して実家を離れてもなお、しばらくは外食時に飲み物を注文することができなかったほどです。
母はよく、父について「信念がある」などと語っていました。私から見ればそれは独りよがりの思い込みに基づく押し付けでしかありませんでした。
現実社会の本音から目をそらしつつ、自分の思い通りにならないことに対して不当だと怒りを募らせては、被害者意識ばかり抱いて常にイライラし、弱い立場の娘である私や母に癇癪を起こしてばかりいたのです。
今ならわかります。
正しさとは一つではないこと。
正義は暴力性をはらむこと。
人が生きていくにあたって大切なのは、真実そのものではなく、自分が生きていくために欠かせない、自分の周りの情報を適切に処理する方法を身につけること。
幸いにして、親元を離れてからの年数の方が長くなり、誤学習の訂正に着手できるようになりました。
私の育った環境の多数派のようにあのまま親元やその近くにとどまっていたなら、私は自分に植え付けられた価値観がゆがんでいることにすら気づかないままだったことでしょう。
実際、実家のような正しさ至上主義でないにしろ、親の言いなりになっている自分に何の疑問も抱かず「親の娘」をやっている人は目にします。
本来なら、子どもが社会をうまく渡っていけるように育てるのが家庭の役割だったはず。
私はカルト集団で洗脳された子どものごとく、「よそはよそ、うちはうち」という切り札のもと、親が信じることだけを信じるように刷り込まれていたことがわかります。
そして、私のような境遇だと、今回キャシーさんが取り上げておられるような具体的な振る舞いなど、思いもよらない世渡り方法だと感じるはずです。
もう死んだ父に恨み言を重ねるつもりはありませんが、
人は自分の知らないことは見えないし、理解が及ばないーーそれを体現する愚かな大人のモデルでしかありませんでした。
学べなかった、教わる機会のなかった数多くのことを、今こうやって技術の恩恵を受けながらブログから学べることに、感謝しかありません。