日々是呼吸


不幸に向き合う隣人がいるとき

何をもって不幸というのか、価値観はさまざまだと思いますが、知人の1人が、気の毒な出来事に見舞われました。

周りにいた人は皆、心配しました。何とか励まそうと、あくまでも善意のつもりでいろんなことを言ったりしたりします。
ところが、それってやり過ぎでは?とか、いくらなんでもはしゃぎ過ぎでしょ?といった形でエスカレートしていったとき、私は見てられず、同調することを選びませんでした。

経験者以外に発言する権利がない、などというつもりなどありません。
しかし、勝手に想像して決めつけたりとか、独りよがりななぐさめの言葉をかけるというのは、思いのほかなぐさめられた方の人たちを深く傷つけます。
当人が善意に基づき行動しているつもりだけに、タチが悪い気がしてなりません。

今回また、ほとぼりが冷めた頃に、不幸な出来事に遭われた方から、今は会えないという趣旨のメッセージが届きました。
ところがそこで、いろんな言葉をかけたり、はてまた不参加を表明している相手にその会合の動画を送ったり、やってる人たちは「我々って良いことしてるのよね」とカタルシスまみれになっているものの、受け手にとっては傷口にカラシを刷り込まれていることにしかならないような言動を「良かれと思って」重ねる人たちがいて、本当にげんなりしました。

そうっとしてさしあげることこそ、今相手が必要なことなのではないかと。

何か行動しないと気が済まないのか、はたまた善人アピールなのかわかりませんが、私はお友達にはなれない人々です。


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by cocue-cocue | 2018-06-09 23:13 | しないときめたこと | Comments(0)

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