本当なら今、小学校に通っていたはずの女の子が、継父の虐待と暴行を受けて亡くなった事件の詳細が報じられています。
まだ学校に上がっていない子供がノートに書き残した、パパ ママ ゆるして、といった文章は、多くの大人の心に深い衝撃と悲しみをもたらしたはず。
義務教育では小学1年生は今まだ、ひらがなを習い始めているところです。
生き延びるためだったでしょうが、必死で学んで、訴えて、いっぱい考えたであろうことを思うと、卑怯で卑劣な大人に怒りしか抱けません。
事件が今、話題を集めているのは、女の子の母親が逮捕されたからです。すでに女の子は3ヶ月前にこの世を去っています。
当然ながら、生みの親なのに冷酷だ、なぜ娘を守らなかったのか?という批判の声も上がっています。
ここであえて、私は仮説を立ててみたい。
亡くなった女の子の母親は、日大アメフト部の加害選手と同じような立場に追い込まれていたのでは無いかと。
報道で伝わる「見捨てられるのが怖かった」との発言から、母親自身が、生きていくうえでなんらかの恐怖にさらされていたと察することができます。
女の子が亡くなってすぐに逮捕された継父が、例えば妻である母親に暴行をふるっていた可能性はないでしょうか。
幼い5歳児にあれだけ残忍な虐待ができる神経の持ち主が、妻に同じようなことをしないと言い切れません。
再婚し、新しい夫との間には1歳の男の子が生まれたとのこと。
希望に満ちて生活していた時期はあったはず。
ところが、「支配・被支配」の構造ができあがり、自分が産んだ子供が虐待を受けても、拒むことができない状態に追い詰められて、何も言えずに、容認する格好になったのではないか。
児童相談所のケアが行き届いていたであろう香川県を離れ、東京に移り、夫の逮捕後も「報道は全て真実ではない」などと近所の人に話していた、との報道もあります。
夫の行為を正当化しないと、自分がやられてしまう、そういう心理状態だったのでは。
日大のアメフト選手が「好きだったフットボールが、大学に入って楽しくなくなった」と打ち明けたように。「やらないと先がない」と悪質な反則タックルに踏み切り、後ほどテント内で号泣していたように。
母親を責める声を、批判するつもりはありません。
しかし本件に限り、私はその母親に、悪質タックルに及んだアメフト選手を重ねずにはいられない。
亡くなった女の子を救い出すために、児童相談所と警察の連携も必要です。
私は同時に、この母親を救い出す手段も必要不可欠だったのではないかと思います。
母親こそが、東京の児童相談所の職員と娘を接触させなかったわけで、自分の身に降りかかることを思うと、とても娘を会わせることなどできず、拒むしかなかったのではないか、完全に追い詰められて八方ふさがりだったはず、そう思えてならないのです。
母親自身が生命の危機に直面していて、まともな判断が下せない状態だった。
連れ子あり再婚家庭における虐待を阻止するには、この歪んだ関係性にメスを入れるすべを、社会の仕組みとして作ってよいのではないかと考えます。