教育学部出身、元公立教員だった母は、その経歴がゆえにわが子にも厳しかったのだ。
そんな風に思っていたのは、間違いだとわかりました。
単に、意地悪だったのだと。
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私は親にほめてもらったことは一度しかありません。
「あなたは、何をもらっても『こういうのが欲しかったの、ありがとう』と喜ぶ」
書いてみると、物乞いメンタリティーみたいです。
物心ついた頃から、「私の本当のおとうさんとおかあさんは、どこにいるんだろう」と思っていました。
幼子にそんな風に思わせることができる親というのも、なかなかお目にかかれないでしょう。
非難を承知で書くなら、私は親に感謝の気持ちは自発的に持てません。
学校に上がるか上がらないか、の頃から「ありがたいと思いなさいっ」と母には幾度となく言われました。
思わなくてはならないと無理してきました。
でも、親になったわが身を振り返ると、どうして自分の子供にあんなひどい仕打ちができたのか、親たちが皆目理解できないのです。
育ててもらったくせに、といわれることも承知です。
でも、私が殴られず殺されずきたこと自体は、親として当然のことなのでは。
無配慮な言葉、人格否定、辛抱を強いるだけで気持ちを出させてもらえない、そんな仕打ちを受けてまで、なぜ親に感謝しなくてはならないのか、私にはわかりません。
「産後どれだけブクブク太るか、見ものね」
「関東はどうせ、震災後、放射能降り注ぎまくりなんでしょ」
「ご近所さんに、帰省してはると言われたら恥ずかしいから、来るな」
このブログでも取り上げた母の語録の三例だけでも、彼女は厳しさゆえではなく、底意地が悪いからこそのこの言葉なんだと判ります。
毒親、まさにその通りでした。
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