前回、母の「あらへん」とおろおろと探し回る姿とその理由をひとつ、あげました。
二つ目の「あらへん」は、うろうろ動き回るのとは、様子がちょっと異なります。
(その2)足るを知らない
このブログの初期、私がまだお片付けメインの断捨離に集中していた頃。
キッチンの引き出しから湧いてくるように見付かったのは、大量の乾燥こんにゃく、あらゆる形状の「麩」といった、母が持ち込んだ数々の品でした。
ブログでは紹介しませんでしたが、冷凍庫内のみならず、引き出しにまで常温しかも袋詰めで保存されていた大量の保冷剤も、特徴的と言えそうです。
戦中世代の悲しい性(さが)かな、物の欠乏がよほど堪えたのでしょう。
とにかく不足への恐れ、不安の強さは、もはや強迫観念とも呼べそうです。
取っておけそうなものだとみると、「うちにはまだ、十分にあらへん」とばかり、溜め込む、しまい込む、そして死蔵する~の繰り返しです。
そんなになくても良いでしょう?
素朴な疑問は、彼女には通用しません。
*高齢者の二人暮らしは、巨大な冷蔵庫が不可欠。
買ってきたものを食べきれないから、保存場所は大きくなくては。
(年老いて食べる量は減っていくはず。買う量を減らさないから、余る量が増えていくのでは?)
*洗濯用洗剤はダース買い。
必要なときに安く売っていないと、損するから嫌だ
(運動部の高校生がいるわけでもないのに、どれだけ洗濯するつもり?)
*いざというときのため、調味料は常にストックを納屋にスタンバイ
(そして常に期限切れを使っている両親~一回ストックをなしにしてみれば?)
阪神大震災で、使わずにとっておいた高級食器が木っ端微塵になり、形あるものにこだわることの空しさを身をもって味わった、はずなのに…
食器棚の上には意味不明な「要らないものの箱」を積み上げて(危ないってば)。
高いものは壊れたら惜しいからと100円ショップや景品の食器を重用して(壊れるまで使わずに放置しておいたことが惜しいんであって、壊れることだけに焦点を当てなくても)。
私には理解しずらいです。残念ながら、母は自分の行動は正しく合理的と信じて疑わず、疑問の余地もないようで、娘の感想にも耳は貸しません。
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