日本の専業主婦の皆さんが熱心に家事に取り組み、また抱え込んでいることが、もしかしたら、主婦自身、夫たちやこどもたちの首を絞めたり、成長し損ねたり、家事をめぐる不要ないさかいを引き起こしたりという結果を招いていないでしょうか。
いきなり過激なことを書いてしまいました。
日本の主婦の家事労働時間は、他の先進国と比べて格段に長い、という調査を読んだことがあります。
昭和の時代は、炊飯器が発売されると「君は自分の嫁が、機械にご飯を炊かせて朝寝坊しても良いのか?」と揶揄したり、魚の切り身がお店に並ぶようになると「家から包丁とまな板が消えて良いのか?」と批判したり。
そんな声は、家事は自分の仕事だとは微塵も思わない男性の、勝手な言い分だったといえます。
が、そんな風土?に対応してか、主婦の方も、家事を複雑化、長時間労働化して、容易な参入を許さないことで「私がいないと、家族は暮らしていけない」状態を作り出してきたのではないかと感じるのです。
家族がキッチンに入ることを許さない「お母さん」は、少なくないようです。
岡田斗司夫氏が著作「フロン」で指摘した通り、家のなかは主婦にとっては「職場」です。キッチンはなかでも、とくに重要な場所のはず。
気まぐれで立ち寄る人々に散らかされたり、気ままに物を定位置から移動されたりして、ストレスがたまるのは当然でしょう。
しかし、それはキッチンを「職人さんの作業机」化しているから、ではありませんか?
もしキッチンが、主婦だけの聖域ではなく、家族みんなが使う「職場」であったなら、誰もが使いやすく分かりやすい配置を心がけるのではないでしょうか?
余りある使命感が行き過ぎて、主婦自身のための家事職場や手法が整うことにより、夫やこどもたち、はたまたヘルパーさんのような外部の方たちがおいそれ手を出せない場所になっていて、そのために他の人の手を借りられなくなってはいませんか。
家事の全容を把握している人が、家の中で主婦ただ一人。
だからこそ、その重責が他の人には見えず、いつも大変だね~とねぎらう声もあまり聞かれないのではないでしょうか。
家族全員でなにもかも分担するのが理想とは決して思いませんが、家事とは何ぞや?を具体的な作業と量で見える化することが、ゆくゆくは自立していくこどもたち、老後を共に歩む配偶者にとって、非常に有益ではないかと感じるのです。
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