親からもらったもの、かってもらった物を手放すのに抵抗が強く、
先日も段ボールに詰めて送り返したりしていました。
いろんな方のブログを拝見しても、捨てられない親御さんやら、いろんな物を送ってきたりする親類の方のお話はでてきますが、それらの物を処分するのにここまで苦悩しているという話は、あまりお見かけしません。
どうしてなんだろう。
考えながらキッチンそばのお菓子入れの棚を通過したとき、急に昔の思い出がよみがえってきたのでした。
おみやげにいただいた、北海道の六花亭のホワイトチョコレート。
幼かった私は本当に大事に大事に、食べていました。少しずつ割って、残りはふきのとうの絵が描かれた包み紙にくるんで。
最後の2かけになったある日。食べようとしたら、ありません。
私の大事なチョコレートは?
なんと、父が勝手に食べていたのです。
「余っていたから、片づけようと思って」
私は泣いて、泣いて、泣きました。
当時は六花亭のチョコレートを手に入れるのは簡単ではありませんでした。
ホワイトチョコレートですら珍しい物でした。
結局父は、神戸・三宮の輸入食料品店で、海外産のホワイトチョコを買ってきました。
以前アップした、
かっこう時計の思い出もそうですが、私の心の中に、こんな気持ちが詰まっていることに気がついたのです。
「親は、私が本当に欲しい物をくれない」
「親は、私が大事にしている物を、勝手に持っていってしまう」
だからこそ、親がくれた物は手放せなかったんです。
仮に気に入っていないものであっても、もらった物を断ったら、もらえないかもしれないという恐れ。
欲しい物をもらえなくても、もらえるだけでありがたいという、けなげなまでの感謝。
思えば私の親は、物の数をたくさん持つことに情熱を注ぐ代わり、本当に欲しいものかどうかという満足度には関心が低かったようです。
あれだけ物をため込んで、手放すことを拒むのに、私自身は欲しかった物をかってもらえた記憶は乏しく、むしろ我慢させられたり、もらえなかったり、違うもので妥協させられたり。下手するとホワイトチョコレートのように奪われたりしていたのでした。
こんなに大人になっているのに、親から与えられなかったことがここまで私の行動を縛っているのかと思うと、愕然とします。
どうして子供に、ものを与えなかったのか?親に対する謎、もう少し突き止めてみたいです。
(続きをUPするかもしれません)
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