いろいろ感じて至った結論のひとつが、私の両親はきわめて「独り善がり」なのだ、というものでした。
同じような属性の方が必ずそうである、という訳ではないので、誤解を招かないように記したいのですが、いくつか理由が思い浮かびます。
☆生まれてから、ずっと地元に暮らしている
父も母も、実家は同じ関西のある市でした。40年近く、二人はその隣の市に住んでいますが、帰省するのも電車で数駅ですし、同窓生もたくさん近所にいます。
つまり、同じような背景を持つコミュニティで暮らしてきたので、地域差を実感することもなく、あうんの呼吸で意志疎通できる(と信じている←ここがポイント)人間関係がほとんど、そんな世界に暮らしてきたのです。
こうやって書いてみると、このブログにお立ち寄りの方がもしかしたらお気づきの通り、私の母の発言として「ご近所さん云々」がやたらと登場するのも当然のなり行きのように思えます。
☆不満を直接相手には伝えない
これは父には当てはまらず、母のみなのですが…しかも娘にはそのぶん、不満たらたらなのですが。
何か納得できないことがあっても、絶対に相手には伝えないのです。
それは裏返すと、他の人からも不満を受け付けないのと同じです。
何が言いたいのか、というと、母のとるコミュニケーションは、相手と自分は違う考え、感性、気持ちの持ち主である、というところには立脚しないので、違いを認めて、場合によっては埋める、時には「ヒトそれぞれ」と割りきる、そんな交流を他者とはとらないのです。
だから自分が想定外の仕打ちにあっても、そのことは相手にはもちろん知らせず、黙って「あの人は非常識」と切り捨てるのです。おお、こわい!!
☆自分がしてあげたいことを他人にすれば、誰だって感謝してくれて当たり前だと信じている
父は、自分の弟一家が自宅を購入するとき、物件を勝手に選んだ、という「実績」(私なら前科と呼びたい)を持ちます。
本当は、弟夫妻はその町には暮らしたくなかったのに、あまりにも強引だったのと、兄(私の父)に歯向かうのが恐くて、断れなかったのです(と私の母には伝えてきました)。
だからといって、反省などしません。
なぜなら~
父にとって「弟のために最善の選択をした」ことに、疑問の余地がないからです。
私は初めて独り暮らしをした住まいで、泊まりがけで訪ねてきた父にクローゼットの中身を勝手に全部入れ替えられたことがあります。
勤め先から戻り、見知らぬ空間に化けていたクローゼットを目にして、泣きながら実家の母に電話したのは今も忘れられません。
その後、父が母に語ったのは「情けない」
やっぱり娘の持ち物に勝手に手出ししたのはまずかった、とさすがの反省したのかと思いきや。
「せっかく親が片付けてやったのに、感謝のできない娘だなんて、情けない」だったのです。
(父とは10代の頃から折り合いが悪く、今も父を赦すことはありません)
今となっては、父もさることながら、そんな父の台詞を伝えてくる母を疑問視したいところです。
結局父の代弁をしたいのね…
☆
挙げていくときりがないので、このあたりにします。
こんな親しか知らなかったので、そんなものかと思ってしまっていた私ですが、没交渉を続けて、心や頭のモヤモヤが消え、心穏やかに過ごせている自分に今ごろ気がついたのです。
最初は「子供として、もっとこんな風にしてもらいたかった」「あんな風に言われたくなかった」思いをほりおこすところからでした。
親になってから「子供にそんなことを言える親って、一体どんな神経の持ち主なんだ?」と疑いの目を向けるようになり。
今は一人の大人、社会人として「あの人たちの言動は、大の大人としておかしい」と確信するに至りました。
彼らを恨む、というのとはちょっと違います。
よくまあ、それでやってきたもんだなあ…と呆れる、そんな感じでしょうか。
こんな親御さんをお持ちの方はあまりおられないと思うので、なかなか共感は得づらいところですが…
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