一人暮らしが長いもの同士が結婚、仕事の関係で新婚時代に2年あまり別居していた。
晴れて同居した時、既に妊婦だったこともあり、旧居では荷造りのみ(処分なし)、新居で荷ほどきをする前には臨月を迎えた。
産後は子育てに明け暮れて、荷物をさわる余裕などなく、フタ桁の段ボールを封印したまま職場に復帰した。
ヤカンもフライパンも、炊飯器も二個ずつ。早い段階で同居していれば、取捨選択またはそれぞれのお一人様家財を処分、新調もできたのかも知れない。
節目を逃した私たちは、大人二人なのに妙にこみあった引き出しや棚に囲まれて暮らしていた。
子供が生まれ、静かに増える子供用品。ますますものは増えて、家は狭くなるのは時間の問題だ。
分かっていたけれど、手を付けられない。
なぜなら
・まだ使える
・思い入れがある
・置く場所がある
・後ろめたい
今回捨てた炊飯器は、一度スイッチが入らなくなり、封印して放置、いよいよ捨てるその前に、最後の一回の炊飯時によみがえったものだ。
「捨てなくて良かった!」心から安堵した。夫持参の炊飯器は、私のものより高品質なため、炊飯時間が倍近くかかるので不便なのだ。
生き返った炊飯器を使うこと数ヶ月。いつものようにスイッチを入れて調理に着手し、ふと見たらランプが点灯していない。
蓋を開けたら冷たいままだった。
コンセントを抜き差し、スイッチを押し直すも、手ごたえはなかった。今度こそ、ダメだった。
箱にしまってキッチンの片隅に置く。
缶詰や瓶詰を入れた引き出しが、炊飯器の箱に引っ掛かって、開けられない。料理の幅が狭くなっていく。
気にはなるが、踏ん切りがつかない。またよみがえるかも知れない。
断捨離を知り、荷物を触り始めて数日後だった。
「今日は捨てていない」でも今からどこかを触る気にはなれない。
「そうだ。炊飯器だ」
かくして、就職以来ずっとそばにいた炊飯器とさよならした。
職場復帰して、炊飯器の利用頻度が激減し、炊飯時間が気になる機会が減ったこと。
歩き回る子供が蒸気口に触るかも、と不安で、実は育休中から母子二人の時は土鍋で炊飯していたこと。
今になって、ようやく気付いた。潮時だったのだ。
そんなに大事だったなら、せめてお別れの前にギュッと抱っこしてあげるんだった。一つだけ悔やんでいる。
長い間、私の食を支えてくれて、本当にありがとう。