技術の進歩などでいろんなことができるようになりました。同時に、昔必要だと思われていたものがもはやいらなくなったり、廃れていったりして、世の中は少しずつ、時には目まぐるしく変化しています。
そのことをどう受け止めるのか、急に気づいた私なりの解釈が「大部分の人は実は、変わりたいとは思ってなんかいない」という傾向です。
例えば都市部で盛り上がる中学受験。最近は大学付属校の希望者が増えているといいます。少子化にもかかわらず大学の数が増え、進学率も上がるなか、大学合格自体は数の上では易しくなっているはず。それでも付属校に人気が集まる理由は、2020年の大学入試改革を控え、「どう転ぶかわからない新入試方式に子どもを巻き込みたくない」からだとか。
確かに目の前の試験なら、今ここの制度や仕組みを使っているので、迷いは少なくてすみそうです。どうなるかわからないものに不安を抱くのは自然ですが。
そこまで忌み嫌って回避する必要がどこにあるのだろう、と不思議でなりません。
子供の将来を左右するものだから特別、とも言い切れないはず。
潜在的に、改革後のものが自分にとってプラスに働くとは思えないという集団心理なくしては、このような動きは出ないのではないでしょうか。
よくなるとは限らないけれど、絶対に悪くなると決めつける必要もなく、本来「改革」であればむしろ、既存の制度の欠陥を補うものであろうと考えれば前向きに受け止めて良いというのに。あえて今、回避するための勝負に出るのであればそれは、やはり変化そのもの(方向性に関係なく)に対して消極的、否定的であるのは事実でしょう。
何でもかんでも変えることが大切だとは思いません。
しかしながら、昨日と同じ1日などないのです。変わるのは前提で、それが大きくても小さくても柔軟に受け入れていくというのが本来は必要なのではないでしょうか。
今回の例は限られた人たちの判断の話ですが、世論を動かす何かを見たとき、人々が変化をどう受け止めているのかを念頭におくと、意外な現実が浮かび上がりそうです。