映画「ニューシネマパラダイス」に出てくる、非常に有名なエピソードを教えてもらいました。
王様が開いたパーティーで、警護をしていた兵士が王女に恋をした。王女は兵士に、お城の下で100日待ってくれたら…と伝えた。雨の日も風の日も待ち続ける兵士を、王女は窓から見ていた。99日目、兵士は立ち上がり、どこかへいってしまった…
なぜ兵士は立ち去ったのか?
映画でも全く明らかにされなかったとのこと。
私が最初に思い付いたのは「いよいよ明日、王女が自分のものになる、というとき、はたと自分は彼女をそこまで愛していなかったことに兵士が気付いたから」でした。
嬉しくてわくわくするわけでもない、静かな喜びに浸る訳でもない…
困難に立ち向かっていて、実は思ったほど愛は深くなかったと分かり、立ち去った。
その次に思い付いたのは。
来る日も来る日も待ち続けていて、そんな自分に酔っていたことに気が付いた。
待つことに執着している自分は、実は彼女を愛していたわけではなかったのかも、と…
といったことを、この話を教えてくれた人に伝えたところ、ガッカリさせてしまったようです。
現実的な女性には理解しにくいのかも、と。
ちなみに彼の解釈は、100日目の彼女の反応を見たくなかったから、だそうです。もしかしたら王女は裏切るかもしれない。そんな目に遭うくらいならむしろ、彼女を思ったことを大切にしながら生きていこうとしたのではないか、と。
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我ながら男心を理解していないことに気が付いたのです。
私が書いたことは「なぜ兵士が立ち去ったのか」ではなくて「なぜ兵士が立ち去った、と王女は思うのか?」だったのではないかと…
私の前提はどこまでいっても「立ち去った」すなわち「彼は彼女を愛していなかった」なわけです。
「愛していたから立ち去った。」も理論上有りうると分かっていても、どうもしっくりこない。
なぜなら…王女にしてみれば、自分を愛していた人なら立ち去らないはずだから、なんですよね。少なくとも私にとっては。
ネット上では「愛していたからこそ、兵士は立ち去った」説を唱える人もいました。
「100日待って自分に応じるのは、それは約束を守っただけであり、自分を愛しているからではないから」と兵士は気付いて、王女の幸せを思って身を引いたのだと。
はたまた「王女が愛しているなら追ってくるはずだから、去った」説もありました。
それはどうだろう?イタリア映画において、女性に追われたい男性ってアリなのか、私はあまり想像できません…
そして私にその話を教えてくれた人は、ロマンチストなんだなぁ。などと感じる春の真夜中でした。
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