思えばこのブログは、断捨離に出会って、その歩みを記録しようと始めたものでした。
今はもはや、発達障害持ちの両親に誤学習を強いられ、後天的なズレを植え付けられて社会の適応に苦労した体験を綴ることが増えました。
断捨離の過程で、自宅にあって煩わしく感じるものが、親が送り付けてきたり持ち込んできた物であると気付きました。
二人の子育てをしていて、親にされたことがあまりにも自分が親として子供に対してしたいこととかけ離れて、愕然としたこと。
結果的に「父親も母親も、発達障害だった」という仮定を立てれば全てのつじつまが合うのでした。
そして、私が断捨離した大きなものは。
親との連絡。
仕事で名乗っていた、旧姓。
この二つです。
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そしてまた、細々とした身の回りの不要品を、減らし始めています。
毛玉が目につくニットブラウスとか。
付き合いで定期講読していて、開封すらしない雑誌とか。
着れるのですが、もう着るつもりになれないワンピースとか。
自分がハッピーに感じないモノを、手間暇かけてわざわざ管理する必要がないこと。
それこそ「ホーダー」傾向が強い父親や母親への反発もあります。
勝手に捨てたら怒る人々ですが、幸い全く連絡も取らず、音信不通です。
奴等と同類というのは、勘弁です。
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まだまだ、生ぬるいことは分かっています。
しかし、少しでも手放せば、その分は着実に進歩しているのも事実。
あきらめず、取り組みます。