自閉症の特徴的な傾向として、誤学習ということばを知っていました。
誤って学習したことが上書き、修正されることなく、マイルールになってしまうことです。
実は誤学習だけではなく、不適切な学習が3パターンあるようです。
誤学習のほかは、未学習、過剰学習です。
未学習とは読んで字のごとく、学んでいないこと、です。
暗黙の了解のルールだったり、周りの人々から自然に学びとることが出来るであろうお約束を身につけていないために引き起こす非常識な言動、といえば、想像しやすいでしょうか。
今回取り上げたいのは、過剰学習です。
以前から、何となく引っ掛かっていた、母親の思考パターンがありました。
たまたま起きた出来事を、一例としてとどめておくことが出来ず、あたかもそれが普遍的かつ反復継続的に再現される、と信じて疑わないのです。
ある人が一度、口にした台詞を、その人の座右の銘のごとく受け止めていたり。
偶然(もしくは不幸)が重なって生じた事態を、いつでも起きる現象だと決め付けていたり。
もともと、自閉圏の人々は「真に受けやすい」そうですが、実母は本当にそういう傾向が強かったです。
過剰学習が進むと何が起きるかというと、方針変更や気がわりを断じて認めない、とても寛容性とは程遠い、頑固な態度ばかりとるのです。
そして、世の人は移り気だと批判したり、一貫性がないとなじったりします。
一度決めたことは断じて変更してはならない、とてつもなく窮屈ですが、自分で勝手にがんじがらめになるだけで満足せず、他人にも押し付けてくるのです。
以前、母親と「住宅は持ち家か、賃貸か、どちら?」をテーマに話したとき。
「賃貸に住んでいたら、老人になって住むところがなくなるから困る」と母親は主張しました。
自ら持ち家暮らしということもあり「お母さんたちは住むところがあるから、安心」と言うのです。
高齢になると部屋を借りづらくなるとか、家賃をずっと支払い続けないといけない、と言い張ります。
「でもさあ、賃貸暮らしから、老後持ち家を買ったら、別に困らないんじゃないの?」と素朴な疑問をはさむと「そんなん、あかん。賃貸と決めたらずっと借家住まいにしないと」などと、とんちんかんなことを言い出すのです。
「持ち家の人が家を売ろうが、賃貸の人が家を買おうが、その人の勝手じゃない」と説いても、全く受け入れようとしないのです。
議論はどこまでも平行線をたどり、私は力尽きました。
今となっては、20年ほどそんな親のもとで暮らした私が、多少は親よりは相対的な物の見方を学んだことは、奇跡的かもしれないとすら感じます。
父親も母親も、タイプこそ違えど、自分が絶対正しくて、異なる意見の持ち主は馬鹿か間違っている、と信じて疑わないのです。
そんな親を持った我が身を恥じつつ、実家から離れて親とも没交渉の今、私の周りをうろちょろされているわけでもなし、と気分を一新するのでした。
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