子供の頃の習い事で、母は世話役の一人をつとめていました。
発表会の準備も、母が中心になって進めていました。
教室のみんなのことをやってくれている、私のお母さん。
自慢に思うことなんかない…といったら、嘘になります。
でも、母が手掛ける、私個人のための発表会準備はいつも、一番最初と、本番ギリギリだけなのです。
まずは娘の分を試作。雛型を作り、調整を重ね、作るべきものを確定する。
材料を手配し、分配。
手分けして作っていき…
ほとんど全員のものを完成させてもまだ、私の準備は途中で止まったまま。
見兼ねた他のお母さんが、時間切れになる前にと、代わりにやってくださることもありました。
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一人娘の私が、なぜ「私のことはいつも後回し」とか「ないがしろにされた」と感じていたのか、急にひらめいたのです。
お母さんはみんなの役に立っていて、私の誇りでもあるけれど、そのために私は後回しにされ、我慢させられて、本当は寂しかったのです。
「自分のことは後回し」それは、母の価値観でした。
多くの日本の主婦は、そう考えているでしょう。
私の母の場合は、自分だけでなく、自分の娘を後回しにすることにもなんの疑問も感じていなかったのです。
母子分離ができていなかったからでしょうか。
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第二子と出掛けた児童館にて。
二人の子供連れで、幼い方の赤ちゃんの世話に一生懸命になっているお母さんたちの、年上のお子さんたちが寂しそうにしている姿がツラくて、私は一生懸命、彼らの遊び相手になってしまいました。
我が子の相手もしながら、ではありましたが…
果たして第二子は、満足したのでしょうか?
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せっかくママと遊びにきたはずが、気が付いたら見知らぬお兄ちゃんたちがママのそばにいて、しゃべったり遊んだりしながらになってしまって。
ママは「いくら年上だからと、幼い子達を放っておくなんて、かわいそう
で気の毒」と、そんなお兄ちゃんたちの相手をして、善行に酔いしれていい気分かもしれないけれど…
これじゃあ、実母と同じ轍を踏んでしまっています。
我が子そっちのけ、は彼らのお母さんたちも私も同じかもしれません。
しかし、もう一人の我が子にかまけているのと、他のお子さんを構っているのと、どちらがましかといえば…答えは明らかです。
まずは自分と、その家族に愛を注いでから。
うっかり忘れかけていたのを、幼い頃の私が、思い出させてくれました。
ごめんね、我が子よ。許してね。
愛しているからね。
ありがとう。
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