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日々是呼吸


憐れみを誘おうとするなんて、ぶざまだわ♪

十代の頃…それこそ硝子のような年頃でしたでしょうか。

自ら志願したとはいえ、見知らぬ世界に飛び込んで、どっぷり孤独な気持ちを味わっていた時期がありました。

何だか大変だなあ、ツラいなあ、そんなことばかり感じていたであろう私。
そのうち、当時の私はおそらく、こんなことまで思っていたような気がするのです。

「私はこんなに大変な思いをして、気の毒なんだから、どうしたの?って声をかけてもらったり、やさしくしてもらえる権利があるのではないか」

実態は、と言いますと。

何だか辛気くさい、冴えない表情の人に手を差しのべてくれる人なんて誰一人おらず、構ってくるのは変なひと…

そばでは、なんの悩みもなさそうに能天気にケラケラ笑っている人が、いろんなひとに声をかけられて、仲間を増やして…

それこそ「仲間にはいれずにいるひとには、声をかけて、誘ってあげましょう」と親からも先生からも?習ってきた私には、きっついなあ…という日々でした。

すねていた私の出していたオーラは、当然ろくなものを引き寄せなかったのです。

*****

私はそのとき、不覚にも自覚がありませんでした。

このやり方しか、私は知らなかった、ということ。

知らないひとから声をかけてもらうことを、ひたすら一方的に待っていた。

自分に気付いてもらうためには、自分はあわれな状態でなくてはいけないと感じていた。

まるで、雨の日にずぶ濡れになって泣いている、弱った捨て猫のように。

誰かに拾われて、暖かい部屋に連れていってもらって、ふかふかのタオルで拭いてもらい、ミルクを出してもらうことを夢見ていたのです。

*****

自分は、あわれな人を見棄ててはいけないと思って、我慢して耐えていたのに。

自分が惨めな立場になったときは孤立無援。
割りがあわないじゃないか…

いったい誰に、私はこの言葉を投げ掛けたかったのでしょうか?

*****

今の私からみると、あきれるほかはないのですが、私は自分の父親から、とんでもない処世術を学んでしまっていたのでした。

自分が逃れられない、父親の立ち居ふるまいなら、他のひとも逃れられないに違いない。
その誤った認識に、なんの疑いを持たなかったから、あの頃の私は、惨めさアピールに真面目に取り組んでいたのです。

*****

いろんなキーワードがありますが、父親とその一族から不覚にも受け取ってしまったこと、それはまさに「卑屈さ」と言えるでしょう。

三年前に病気になった父親は以来ずっと、「死ぬ死ぬ詐欺」よろしく、母を相手に脅迫しています。

いかに辛いか、痛いか、苦しいか。

自分はもう長生きできへん…
そのころは自分はもう、おらんかもしれん。

字面にすれば、不治の病に悩むひとの心情の吐露ですが…
朝から晩まで、唯一の同居相手である母に、繰りごとのように呟き続ける父親。

かつての自分を見てしまうから、だけではありません。
世の人がなんと言おうと、私は聞く耳を持ちたくありません。

いえ、そんなことは、わざわざ書かなくても大丈夫なのです。

なぜなら、父親は私には絶対に同情を買うまねはしないからです。
私がもう、そんなことに乗ってこないこと、分かっているんですね。



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by cocue-cocue | 2013-05-11 15:30 | こころと思い | Comments(0)

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