かつてはよくお邪魔していたManamiさんのブログ(サイドバーのお気に入りにありましたが、現在解除済みです)のエントリで、思い出したことがあります。
まだ幼かった頃、お土産で北海道六花亭のホワイトチョコレートをいただきました。
私はホワイトチョコレートが大好きでした。
通販が普及した今ならまだしも、当時は簡単には手に入らない貴重なもので、いただいたときは大喜び。
毎日、ひとかけずつ、大事に食べていました。
ある日、最後のひとかけを食べようと、お菓子をしまうかごに手を伸ばしました。
ない!!
ホワイトチョコレートが見付からない!!
探しても、ふきのとうの絵が描かれた、白い包み紙ごと消えています。
どうして?
夜になって、謎がとけました。
父親が食べてしまっていたのです。
「余っていたから、早く片付けないとあかんと思って」
父親は言い訳しました。
***
さすがに母も、これはまずいと判断したのでしょう。
六花亭のホワイトチョコレートは無理でも、せめてホワイトチョコレートを娘には与えなくては。
償いとして、父に買わせたのです。
神戸元町の輸入品のお店で、外国産のホワイトチョコレートを買ってもらった記憶があります。
*****
冒頭にご紹介したブログによると、Manamiさんは姪御さんのバッグをつい、捨ててしまったそうです。
もともと、子供の持ち物は、勝手に処分しないと決めておられる方です。
ご自身が買い与えたものの景品で、つい魔が差してしまった…とのこと。
僭越ながら、コメントさせていただきました。
姪御さんが直接「捨てたでしょ」と問い詰めない限り、真犯人であるとカミングアウトしないほうが良いのでは、という私見ですが。
私の経験をふりかえると、大事にしていたホワイトチョコレートを、しかも最後のひとかけを食べられたことも悲しかったですが、それよりも辛かったのは「大の大人の父親に」やられたこと、だったのです。
自分が親から、軽く扱われたこと。
自分の親が、娘の大事なものを簡単に盗み食いするような、人でなしであると見せつけられたこと。
今もまだ、「やっぱり親父は…」と感じることが多々あります。
バッグでもチョコレートでも、大きくなれば、自分で買うのは難しくありません。
でも、おばちゃまやら父親から、捨てられた…という現象を取り消すのは、不可能なんです。
そのとき幼い心に刻まれた思いは、そう簡単には埋め合わせはできません。
*****
「女子供」という言葉が日本語にあるように、成人男子以外は軽く見られる土壌が日本にはあるような気がします。
子供だって、子供なりに大事なものがある。
それは大人の大事なものと同等、いやそれ以上に、尊重してほしい…
みんな昔は、幼子だったわけですから、簡単に忘れて欲しくない、そんな風につい切望してしまうのです。
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