職業人としての自分を形作っていくにあたり、数多くの方々から学ぶ機会がありました。
当時気付かなかったかもしれない、その恵みを振り返ってみようと思います。
まずは、温厚控えめな闘士で、かつて私の師匠だったTさんについて。
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師匠と弟子、そんな単語が私の働く場所でふさわしいか分かりませんが、職業上のスキルをみっちり指導して下さった先輩を師と仰ぐなら、私はTさんの最後の弟子でした。
Tさんは人を掻き分けることもなければ、弁が立つわけでも、駆け引きに長けているわけでもありません。
根本的に穏やかな方で、人格者と呼ばれることもあります。
決して外向的でもなく、体調がすぐれないときは不機嫌になる、普通の?一面もお持ちでした。
何よりも印象に残ったのは、直球で相手に向かい合うことを後輩らに繰り返し説いておられたのと、後輩のために上司と闘う姿勢でした。
闘うという言葉は、本当はTさんにはしっくりこないものです。
しかし当時、確かにTさんは、私のため~厳密には私のアウトプットのため、上司らと闘って下さった。
私は目の当たりにしました。
別の困り事が起きたときも、そんなことが可能だったのか!!としか思えない、難易度の高い譲歩と対策を見事に引き出して、問題を解決に導きました。
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私と同じく、Tさんのもとにいた一年上の先輩が、ある手柄をあげました。
しかしTさんは、その先輩を叱ったと言います。
なぜ?
手柄のために、姑息な手段を使ったことを見抜いたのです。
結果オーライと思って、事実を認めたその先輩は、Tさんに言われたそうです。
「二度と同じやり方をしてはならない」「こんな手柄なら、要らない」と。
私も記憶があります。
あるとき、Tさんに言われました。
「手に入れたいなら、下さいと言えばよい。そうしたら、手に入るものです」
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当時の職場で優秀と目される人々の間に、口八丁手八丁な人は少なくありませんでした。
恫喝まがいの姿勢で臨むこわもてのヒトもいました。
Tさんはあきらかに地味な気質ではありながら、間違いなく有能だと認められていました。
言うべきは言う、遠慮はしない、でもTさんの言動で嫌な気分になったり、傷付けられり、腹を立てたりした人はいないと、私は断言できます。
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Tさんはなぜ、周りの激しい性格の人々のなかで、決して染まることなく、そのままで生き延びておられたのか。
温厚な性格だけなら、「いい人」に過ぎなかったでしょう。
Tさんは決して、我慢したり妥協したり、譲ったりはされませんでした。しっかり意志を通しておられたのです。
なぜそんなことが、どちらかといえば淡々と語る、口数の少ないTさんに可能だったのか。
今日突然、その謎が解けたのです。
Tさんには、あるものがなかったのです。
そうだ、それは、不要なんだ。
急にストンと、分かったのです。
長くなりました。続きは次回に。
あるものとは、何でしょう?
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