不快な感情を抱いたとき、これまでならなるべく早く消してしまおうとしていました。
まとわりつく何かを、文字通り振り払おうとしていました。
そうすればするほど、わずかな欠片がまだ残っているような気がして、後味の悪さを噛み締めるかのごとく、モヤモヤした思いを抱え込んでしまっていました。
メンタルクリアリングという考え方を知り、自覚した否定的な気持ちをゆっくり味わうようにしてみました。
とことん、味わい尽くす、スルメを噛んで噛んで、もう味がしなくなる…というところまで、です。
そうすると…心の奥から、次から次へと、思いが溢れだしてきました。
またあるときは、三日後の気持ちこそが本当の気持ち、と学びました。
出来事に反応したそのときの思いは、反射的なものに過ぎず、その瞬間の感情に振り回されることはない。新しい発想に、目から鱗でした。
*****
些細な出来事で、少しモヤモヤしかけました。
いつもと違い、今回は連絡がうまく入っていない、そんな気がしたのです。
電話一本で解決する種類の話です。
思えば不思議ではあるのですが、父も母も、不明な点を相手に問い合わせるということをしない人たちでした。
常に「どないしよう」と自分の頭で堂々巡りをさせたり、はたまた「こうに決まってる」と勝手に決めつけて、実際はそうはならずに怒って当たり散らす…
冷静になるまでもなく、的外れな行動なのですが、社会に出るまで、それが一般的だと思っていた私も私です。
話を戻して~
相手に電話をかけました。
案の定、連絡がはいっていませんでした。
しかしその場で直接、用件を伝えて受け入れられました。
いやあ、良かった。
そのはずなのに、まだモヤモヤが残ります。
なぜ…
しばしモヤモヤを味わってみました。
浮かび上がったのは、思わぬ一文でした。
「やっぱり、私のためにやってくれないんだ。私は後回しにされる。ないがしろにされる」
この言葉、私はだれに伝えたかったんだろう。
自問自答する必要など、ありませんでした。
私のなかに今もいる幼子が、自分の親のはずの大人二人に、こう伝えたがっているのが、すぐにわかりました。
*****
親が私をないがしろにしたのかどうか、分かりません。
もとい、真実を知りたくないという気持ちもあります。
間違いなく断言できること。
それは、
親の行動いかんに関わらず、幼かった私には、親からないがしろにされたという風にしか伝わっていなかった、という事実です。
*****
きっと私の親はこういうでしょう。
「お父さんに悪気はなかったの」
「親としてできる限りのことはしてあげたのよ」
「何が不服なの?」
「ありがたいと思いなさい」
ああ、違うんだよなあ。
言葉を重ねられれば重ねられるほど、幼かった私の思いは、今もなお親には全く伝わっていないと思い知らされるのです。
私の親達だけが、ずば抜けて鈍感なのでしょうか?
私が過敏なのでしょうか?
だとしたら、どうして鈍い親のもとに、人並みの感受性の子どもが育ったのでしょうか?
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