小学校時代に、骨折で入院しました。
腕をギプスで固定し、天井から吊り下げて過ごす日々。
その夜は、気が利かない父が、付き添いで泊まり込みました。
消灯を過ぎて、しばらくしたとき。
天井から吊り下げている腕が痛くなりました。
とても眠れない痛みだったので、傍らにいた父に訴えました。
「腕が痛いから、ナースコールのボタンを押したい」
父の答えは、ひとこと。
「看護婦さんに迷惑やから、やめとけ」
幼い私にとって、親の言葉は絶対でした。
痛くても、辛くても、耐えるしかありませんでした。
*****
退院してから、リハビリが始まりました。
骨折したのが日曜日だったので、入院先は休日当番医でした。
入院先よりも自宅に近い、父の勤め先の関係もある病院で、リハビリを受けることになりました。
放課後通っていましたが、一向に良くなりません。
私のあとに同じように骨折して、リハビリに来ていた年下の女の子が、先に卒業していきました。
「あの子はとっくにリハビリが終わったのに。あなたは努力が足りないのね」
理学療法士らは、ことあるごとに私に嫌みの言葉をかけてきました。
家では、母が私の顔を見ては、ため息ばかりついていました。
(当時の作文ノートに「母のため息」と題して綴った記憶があります)
*****
当時の習い事で一緒だった女の子のおじいさまが、整形外科の著名な先生ということで、母が頼んで、その病院で精密検査を受けることになりました。
造影剤の注射針がとても太かったこと。
同じ検査を受けるために待っていた成人男性が、怖さに怯えてガタガタ震えていたことを、今も思い出します。
*****
検査の結果が、出ました。
私の骨は、ずれてくっついていたのです。
いくらリハビリを重ねても、なおるはずはない、そんな状態でした。
*****
入院中に、腕に痛みを感じた夜を、思い出しました。
もし、あの腕が痛くなった夜。
付き添いが父でなかったら。
父が、ナースコールを呼ばせてくれていたら。
私の痛みは適切に処理されていたかもしれない。
ずれてくっつくことは、避けられたかもしれない。
もしくは、あの夜を、骨がずれた原因と見なさなくて済んだかも知れない。
リハビリの治療者にいじめられ、惨めな思いで通院しなくても済んだかも知れない。
母のため息も、出なかっただろう…
*****
この件で、父は私に、何もいったことがありません。
そして私は、ガン患者である父に、多少はいたわりのことばをかけましたが、見舞い状すら送りません。
むしろ、病を理由に母に甘えてわがまま放題の父が、母の健康を損なっている現状をたびたび見せられ、「早よう死ね」というセリフがよぎります。
そう、幼い頃、父に何度も言われたように。
「何をモタモタしてんねん」
「早ようせい、早よう早よう早よう」
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