育休中の日々は、あっという間に流れ去る時間と、できないで終わったものごとが山積みになったまま…そんな思いを抱える、正直なところ達成感とはほど遠い暮らしです。
なぜこんなことになるんだろう。
振り返って、気がついたのは~
自分が無計画に日課(家事)をこなしている、という事実です。
乳児との暮らしは、オムツ替えや授乳、昼寝に抱っこと、バイオリズム次第という側面もあるため、なかなか自分一人で決めたようには物事ははかどりません。
無理して計画を追いかけて、結局うまくいかないのなら、最初から計画を持たずに臨機応変に…と割りきっていました。
そのうえで、自覚していなかった心の内が、ふつふつと浮かんできました。
私の中で、掃除や洗濯、片付けといった家事は、わざわざそのために時間を割いてまで取り組むようなことではない、と、今もなお思っていたのではないか。
独り暮らしを始めたころ、平日は夜中まで働き、週末もときどき出勤、そんな毎日でした。
洗濯も掃除も、週一度まとめて。
食事は朝と週末以外は外食(時おり朝も外食でした…)。
いわば、働きにいくのが生活の大部分で、いわゆる家事は、空き時間にメンテナンスとして取り組むもの、だったのです。
当時の私は、専業主婦の大変さなんて(世の男性の多くのように?)、まったく理解していませんでした。
働いている私が片手間でこなしていることを、丸一日費やして手掛けているんだから、フルタイムで主婦業だと時間も余って、さぞ暇なんだろうと。
家に専業主婦のいる先輩や同僚は、家事から放免されていて、思う存分仕事にかまけていられて、うらやましくもありました。
仕事が立て込んでくると「お嫁さんがほしい」とつぶやいたりもしましたが。
一度目の育休で、専業主婦の大変さの正体は見付けたものの、期間限定だったこともあり、身にしみるほどは理解していなかったようです。
家の中でのマイナスをゼロ地点に戻す作業に、今なお重きをおけずにいるような気がします。
例えば出掛けて何かをしたり、目的こそ曖昧でもどこかへ行ったり、に価値を見出だしていたのではないか、と気が付きました。
かつて、寝に帰るだけだった自分の部屋。
当時のメンテナンスの範囲や水準で考えていれば、家事労働に意味を見いだすのは確かに容易ではない…そう感じます。
男性の家事労働が日本ではなかなか増えないのも、私が感じていたような思いが彼らに多かれ少なかれあるのかも知れません。
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