夫が子供の頃、夜八時に消灯していたそうです。
振り返れば私の小学校時代も、土曜日は「全員集合」の最初だけは見てもよい、という約束を親としていました。
平日は早く寝ていて、土曜日は夜更かしOKだったのでしょう。
夫の実家に話を戻します。
早寝は健康に良いですから、素晴らしい習慣だと思います。さすが教育的、そう受け止めていました。
が、義母に言わせるとこういうことなのです。
「子供たちが早く寝てくれないと、私の時間が持てないからよ」
モーレツサラリーマンを絵に描いたような義父は、子育ても家事も妻まかせでした。
そんな義父との子供時代の夫の思い出は、たまに外出に連れていってもらったとき、母親なら買ってくれないジュースを飲ませてくれたこと。
なかなか微笑ましい…
と思うと、その実態は「競馬場に連れていき、ジュースをだしにして馬券を買っていた。レースが立て込むと二本めのジュースで黙らせていた」とか。
話し半分に聞くとしても、夫の思い出に見え隠れする親の言動は、今の彼の子育てに見事に反映されているのです。
それは…
親側の都合を優先して、子供に接する態度です。
子供が手助けを求めてきたとき。
「自分でできるでしょ」と夫が子供を突き放すのは、疲れているとか、めんどうくさいという場面です。
子供が一人でできるかどうか、ここは手を出すべきか否か、そういう判断とはお構い無く、自分の気分や状態で、手助けをしたり、しなかったりします。
はたからみていると、子供に対しての一貫性がなく、気まぐれにしか映りません。
子供と出掛けた休日、家を出てすぐ「だっこしてあげる」と言います。
そうすると、子供は途中で歩きたいとは言い出しません。
しばらくして夫が疲れてきて「自分で歩けるでしょ」と子供を降ろします。
当然子供はぐずります。今までだっこしてくれたのに…
「パパはもう疲れた。自分で歩いて」
子供にしてみれば、ねだる前から抱っこだったのに、突然歩けと言われても、納得できないのは当然です。
「出発直後から抱っこしなくても良いんじゃないの?」と私が聞くと「急いで行きたかったから抱っこした」との答えでした。
それって…あなた(夫)の勝手な都合を押し付けてるだけじゃん。
人間だから疲れることもあるし、イライラして八つ当たりもするでしょう。
大人だって、間違いはしますし、常に模範的とはいきません。
とはいえ、親の都合が子どもへの接し方を選ぶ優先的な理由だというのは、私にはなじまない考え方なのです。
私の母が子供の相手をしているのを見た夫が「あなたのお母さんは教育者だね」と何度か私に言いました。
確かに母は教職についていましたが、義母のように三歳児に文字の書き方を教えたりはしないので、何をもってそう感じるのか、ずっと謎でした。
夫はおそらく、私の母が子供にかかわるとき、子供をよく見たうえで、何が子供のためになるかを考慮しながら対応していることに、驚きを覚えたのかもしれません。
私の母と我々一家が神社のお祭りに出掛けた帰り道。
子供はいつもなら抱っこになりがちですが、母は全行程を歩かせました。
初めて履いた草履だったにもかかわらず、子供は弱音もはきませんでした。
「うちの母には絶対、同じことはできないな」とつぶやく夫。
帰り道は余計に時間が掛かりましたが、子供を励ましながら、完走ならぬ完歩させた私の母に、我々夫婦はただ感心するのみでした。
*もちろん私の親の子育てには、別の課題がありました。次回に紹介します。
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