人は自ら選んだものを、時間が経ってからも良いと思うものなんですね。
ある日、義父がスーツに素敵なネクタイを合わせていました。デザインがさわやかで、若々しいなあ…と思いつつ、ほめるのもなんだか気恥ずかしくて、特にコメントしないでいました。
と、義父が一言。
「このネクタイ、君らにもらったんだよ」
???
そういえば…結婚式の少し後に改めて夫の実家を二人で訪問し、贈り物をしたことを思い出しました。
あのときにお渡ししたネクタイだったのね、うっかり「素敵ですね」なんていわなくて、本当に良かったです。
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夫が持っていた食器の一つに、大きなカレー皿がありました。
私の母は我が家の台所に立つたび、
「このお皿、大きすぎて使い勝手が良くないし、場所ばっかりとって、嫌ね」といつも文句を言っていたものです。
実際、一枚しかなかったので、ひどくかさばるわけでもありませんでしたが、逆に一人分しか使えないという欠点もあり、食器棚の引き出しの一番下にしまっていました。
出し入れも不便で、ほとんど使うことはなかったのです。
第2子の産後に手伝いに来てくれた義母が、手製のミートソーススパゲティを作ってくれたとき。
あらびっくり、カレー皿に盛り付けられているではありませんか。
手前には10枚以上、パスタに使うようなサイズのお皿が複数の種類あったにもかかわらず、です。義母はわざわざ、引き出しの底から発掘したのです。上にあった10数枚のお皿を取り出すという手間まで惜しまずに。
ああ、このお皿は、夫が実家を出て一人暮らししたときに、義母が持たせたものだったのね。一枚しかない理由も、やたらとサイズが大きいのも、謎が解けました。(夫は食いしん坊)。
選んだときから、年単位で時は流れているというのに、人はやはり、自分が選んだもののどこかに好みを見出すものなのね。自覚なく「素敵」と言いそうになってしまって、改めて根強い好みの存在感を思い知らされたのでした。
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