母は過去数年に、二回手術を受けました。
一度は腕にできた腫瘍の、もうひとつは白内障です。
どちらも、腕利きと評判の先生に執刀してもらえたのは、幸運でした。
ところが。
腕の腫瘍を除去したのに、相変わらず痛みが残るとのこと。
腫瘍が何なのか判明するのに時間がかかり、結局除去という判断になりましたが、母は「力が入らない。良くなっていない」と言います。
白内障は「日帰りでも大丈夫」と言われるレベルの手術でしたが、術後「変わらない」とのこと、お友だちから「手術を受けて、世界の見え方が変わった!!」と聞いていたのに…と期待外れの様子でした。
そんな母が、さすがに見えづらいから眼鏡を作ると言ったとき、あれこれ調べて評判の眼鏡店を紹介しました。
若い頃から、片目だけ近視で、反対側が遠視なので、目に合った眼鏡が作れない…いつもその話を聞かされていたので、今度こそ良く見えるようになるかも、私も期待していました。
完成した眼鏡を受け取った母に具合をきくと「だめ、やっぱり合わない」と言います。
それならもう一度お店に行って、どこが合わないか調べて、調整してもらおう、そう言うと「お母さんの目は特殊だから、何をやっても合わないのよ。だから行ってもムダ」と言い張るのです。
あ、そういうことか。
前から薄々感じてはいましたが、メガネの件で私はピーンと確信したのです。
腕の痛みも目の見えづらさも、母は改善するはずがないとはじめから決めてかかっているのです。
だから、手術を受けても眼鏡を新調しても、何一つ良くならない。もとい、良くなったとしても認めないし、少しでも良くしようと再診したり検査にいこうともしないのです。
子供の頃、美しいお部屋のグラビアを眺めていたら「こんな部屋は撮影用、暮らせるはずなんかないわよ。生活していたら、散らかるのは当たり前」と母に言われました。
大人になり、私の同級生一家がマイホーム建築ルポを綴るブログを見せてみました。
もちろん生活の場です。こだわりの壁紙や家具類、造作が満載です。
「この人、家にかまけていられるくらいに暇で、お金もあるの?」
家をたてるぐらいですから、生活に困ってはいませんが、しょせんは娘の同級生の年代で、お勤めの一家です。
でも、そうやって快適さを求めて暮らす人がいることが、普通に受け止められないのです。
病気に関しては、本当に母の症状は特異で不治のものかも知れません。
でも、当人が治らないと信じこんでいるなら、治癒可能なものですら治りようがないと思うのは、私だけでしょうか?
思いが現実を作る…どなたのセリフなのか忘れてしまいましたが、母に重ねると、重苦しくのし掛かる言葉です。
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