毎日読んでいるウェブに、道具としての英語を身につけて、話せるようになろう!という連載コラムがある。
その連載の一回で、外国語会話のキャッチボールで間が長い、つまり黙り込んでしまうと相手に恐怖を与えたり、話づらいと思わせてしまう、という趣旨のコメントがあった。
日本人が何を考えているか分からない、と海外で思われがちなこと。それは語学力もさることながら、会話にぎこちない間をおいてしまうことではないか、という主張だった。
読者のコメントの中には「英会話以前の、ディベートや立場の違う人との対話など、『人と話す』スキルを習っていないと実感」という書き込みもあった。
職場の上司、同僚らは、海外生活経験と外国語能力を持つ人が多いので、そんなものかと思っていたが、言われてみれば雄弁・無口にかかわらず、そろって「打てば響く」ように反応が返ってくるのが常だ。
よく見ると、前世紀の湾岸戦争の巨額拠出金のときも、最近では中国船長の逮捕&保釈問題も、どうも日本の外交のアピール不足や唐突さ、一貫性のなさという印象は、この『間の悪さ』から来ているのではないかと思えてくる。
間の悪さ、もとい当意即妙の対応ができないでいるために、国内政治も信頼の置けない、一貫性に欠けるものとみなされているのではないだろうか